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『一太郎』が『Word』に負けたのは戦略ミスだったから?

『一太郎』

今から約25年前のことになるが当時の代表的なワープロソフトと言えば『一太郎』。
決して『Word』じゃ無かった。国産ソフトの代表格だったと言っても過言ではなかった。
当時私も「ジャストシステム」社の『一太郎』(ワープロソフト)『花子』(グラフィックソフト)『三四郎』(表計算ソフト)がセットになった『一太郎オフィス』だったかな?5万円以上支払って購入した記憶がある。


そして現在では個人ユースでワープロソフトと言えば代表的なのは『Word』、これに無償の『Google Doc』がかなり迫っていると言う感じかな?
熱心なアップルユーザーなら『Pages』
『一太郎』はかなり少ないかな?『一太郎』は官公庁レベルでは現在もかなり使われると聞いているけど。
当時は今の様にDVDとか当然なかった時代。インストールはと言うと、フロッピディスク約50枚ぐらいだったかな?
今では考えられないけど、当時は1枚づつディスクに挿れるので、余裕で1時間はかかっていた。
MEMO
フロッピーディスクドライブの容量は 720KB, 1.2MB, 1.44MBです
ついでに言うと当時【表計算ソフト】は 『Excel』より『ロータス1ー2ー3』が有名だった。
『ジャストシステム社』と『ロータス社』がお互いの弱点を補うかのように『マイクロソフト社』の『Microsoft Office』に対抗して、『一太郎オフィス』と称して『一太郎』と『ロータス1ー2ー3』をセットで発売していたことがあった。
一太郎
ロータス123
そして『Windows95』発売と同時に32ビット版『Microsoft Office』が発売された。
ここから急転換していきます。

OSを握っている者(Microsoft)の圧倒的な強み

『Windows95』からソフトはそれまでの16ビットから32ビットに対応する仕様の変更が行われた。
『Microsoft Office95』は32ビットにいち早く対応した。
これが他社を圧倒的に差をつける決定打となった。
Microsoft社は何と言っても『Word』と『Excel』をOSと並行して開発出来る強みがあったからね。
当時『Windows95』はもとより『Microsoft Office95』も爆発的な話題となり売れ行きも凄かったと記憶している。

一方『一太郎』はと言うと、『Windows95』に対応する32ビット版『一太郎7』をすぐに出す…とアナウンスしながらもなかなか出なかった。
いや、出せなかった。
結局対応が後手に回ってしまった。
「ジャストシステム」にもかなり可哀相な面があった。
他のソフト業者もそうなのだが、何しろ16ビットから32ビットへの変更仕様は「Microsoft」に比べて、相当大変な作業工程を強いられたと聞いている。
結局はOSを握っている者の圧倒的な強みを見せつけられたということだった。


しかし世間は(一太郎ユーザー)はそんなに甘くなかった。
散々待たせたあげく、やっと『一太郎7』を発売したのは良かったが「重くてまるで使い物にならない」と不評続出。
私も当時購入したがあまりの酷さにがくぜんとした記憶がある。
『一太郎7』はメモリなど高スペックを要求したからね。これを機に私も断腸の思いで(大げさ?)『Word95』に乗りかえた。
当時はこうした人が多かった。

一太郎のユーザー離れ

そしてまさかの出来事が起こった。
『一太郎7』を発売してから僅か(5〜6ヶ月?)で『一太郎8』が発売された。
「メジャーバージョンアップ」だから、購入するなら新たに費用がかかる。
短期間に2度も支払いしないといけない。
この出来事は既存ユーザーの感情をさらに逆撫でにし、ユーザー離れに一層拍車をかけた
そりゃあユーザーも怒るわね、何じゃこの会社は?って。
ほぼ同時に『Microsoft Office』は「デファクトスタンダード」化していった。
しかし『ジャストシステム社』にもまだ僅かながらチャンスは残されていた。
Atok』 が「Windows」の「日本語入力」にバンドルされるチャンスがあったからだ。
当時「Windows」の日本語変換は本当に「おバカさん」だったし。

今はどうなんだろう?
私もMac使いになって十年以上になるから知るよしもないけど。
だが『ジャストシステム社』はこの提案をことわった。
…と私は当時聞いたのをおぼえている。
もし受け入れていればその後この会社も大きく変わっていただろう。

その後『ジャストシステム』社は…

浮川 和宣氏(うきがわ かずのり)2009年4月にジャストシステムが経営不振によりキーエンスの傘下に入った関係から、同年6月にジャストシステムの社長を福良伴昭に譲り同社代表取締役会長に就任。さらに同年10月には会長も辞任し、同社の役員から退くこととなった。ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より

創業者の浮川夫妻は新しく『MetaMoji社』を設立

まとめ

もう少し当時の対応が違っていれば、ここまで一太郎の凋落もなかったはず。
当時リアルタイムで浮川氏の強気のコメントを聞いた時、正直
「あぁ、この人少しずれてるなぁ」感があった。
もちろん浮川氏にもジレンマはあったに違いない。
このままだとマイクロソフト社に会社を潰さるという危機感は誰よりも強かっただろうから…
当時「乗り換えキャンペーン」と称してマイクロソフト社とジャストシステム社の『仁義なき戦い』がさかんに繰り広げられていたからね。
『Atok』の優秀さは多くの人が認めているし、一(いち)日本人として本当に残念でならない。
現在日本が世界に誇るソフトウェアが見当たらないだけに、今後もしばらくはこういう状況は続くのだろうなぁ…
一太郎(ジャストシステム)がもう少し頑張っていれば、日本のソフトウェア業界もひょっとしたら大きく変わっていたのかもしれない。
以上、お読みいただきありがとうございました。